ほくろは美白の引き立て役?中世ヨーロッパで大流行したつけぼくろの裏側

美白(イメージ図)

美白(イメージ図)

中世ヨーロッパでは一時期つけぼくろが大流行したそうです。その経緯や背景を探ると、女性たちの美白への執念があったようです。

化粧の始まり

イギリスのエリザベス1世が、戴冠式などの儀式の際、聖性を演出する為に肌を白くしたことが中性ヨーロッパでの化粧の始まりとされているそうです。その方法は顔に蜜蝋を塗り、白粉を叩くというものだったそうで、たちまち貴族たちの間で流行したそうです。

白ければ白いほど良い

当時、肌の色の白さは女性の美しさの象徴であり、ステータスでもあったようです。不健康なぐらいの青白さが理想的とされていたらしいです。

当時の美白方法

美白のためにあらゆる美容方法が試されました。極端なものでは青白さを保つために、わざと食事を抜いて栄養失調になったり、血を抜いて貧血状態にしたそうです。また、ビールで洗顔して脱色するなどの方法もあったそうです。

化粧方法

当時大流行した白粉を叩くという方法にも難点があったようです。蠟を使用していたため、暖めて崩れるのを恐れ、寒い日も暖をとれなかったり、厚塗りしすぎて表情がわからなかったりしたようです。また、当時の白粉には白鉛が含まれていたそうで、皮膚にシミができやすかったそうです。

ほくろ大流行の背景

色を白くするために使用した白鉛の副作用でできてしまったシミを隠すために、当時つけぼくろをする人が増えたそうです。同時に過剰な美白ブームの中で、肌の白さをより強調するための演出だったとも言われています。

当時のつけぼくろ

つけぼくろにもいろいろな種類が誕生し、形も丸、ハート、月型など様々で、位置によってセクシーさを強調するもの、上品さを強調するもの等、それぞれに使い分けていたようです。つけぼくろは女性のみならず、男性にも愛用されていたそうです。

「美しくなりたい」という願望に突き動かされ、無謀とも思える美容方法に、リスクを承知で(あるいは見ぬ振りをして)果敢に挑戦する切実な思いや姿は、時代を超えて共通している部分があるのかもしれません。

参考文献
  • 命がけの化粧。中世ヨーロッパの貴族たちのメイク法がすごかった
    (http://matome.naver.jp/odai/2138408433042861501?page=2、2016年1月28日閲覧)
  • メイクの始まり: 簡単メイクアップ!忙しい女性のコスメティックを語る(http://kantan-makeup.seesaa.net/article/41041661.html、2016年1月28日閲覧)
  • 化粧文化Q&A(http://www.po-holdings.co.jp/csr/culture/bunken/qa/3.html、2016年1月28日閲覧)

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