ほくろは歴史や文化の中で様々な解釈をされてきました。異なる時代や場所でどのように受け取られていたのか見ていきましょう。
古代ギリシア
古代ギリシアではホクロは運命を予言するものとされていたそうです。メラムプース(ギリシア神話の有名な占い師、予言者)は、プトレマイオス王の為にホクロ占いについての書を記したそうです。頬のほくろは将来の莫大な富を表し、喉の後ろのホクロは首を切られる予兆だとされていたようです。
中国王朝時代
伝統的な東洋医学には、長く伝わるほくろの易断がありました。吉相、凶相は、顔の9つの幸運ポイント、色、大きさ等との相関で判断されていたようです。簡潔に言うと、ほくろは未来や幸運を示す隠れたサインだと考えられていたそうです。
古代ローマ
古代ローマ人にとって、ホクロは厄介なものだという認識があり、ローマの女性たちはホクロを除去したり薄くしようとしていたそうです。しかし、奴隷や罪人の刻印と比べると、ほくろの方がまだましだとされていたため、革製のパッチ等でホクロに見せかけて隠す人もいたそうです。
中世ヨーロッパ
中世ヨーロッパではほくろは悪魔の所有物だと考えられていたそうです。教会ではイボやほくろは、悪魔が身体に入り込んだ超自然的なアザととらえていたそうです。
ルネッサンス
ルネッサンス時代、ホクロはとても風変わりな解釈をされていたようです。その当時、顔のほくろは母斑と相関関係があるとされ、母斑は性格と深く結びついていると考えられていました。このため、ほくろの位置から夫になる人やビジネスパートナーになる人との相性を占っていたそうです。
18世紀の西ヨーロッパ
18世紀の西ヨーロッパではほくろに似せたフェルトのパッチが女性の間で大流行したそうです。そのため当時のデザイナーは、より大きく洗練されたつけぼくろを作るようになったそうです。その中には馬車やマスト船をかたどったつけぼくろもあったそうです。
参考文献
- The Fascinating History of Beauty Marks
(http://www.popsugar.com/beauty/Beauty-Marks-Birthmarks-Moles-History-18372937#photo-18372937、2016年1月28日閲覧)